癒しの「和音」       



 ● ちょおうさ踊り子隊(4)

  
 私が住んでいる「新居浜」でも夏祭りがあった。
   私の娘が所属する「新居浜ちょおうさ踊り子隊」も出演した。
   「ちょおうさ踊り子隊」のメンバーの数は約100人で、
   高校生から50代くらいまでの女性で構成されている。
   
   本場高知の「よさこい鳴子踊り」をターゲットに結成された踊り子連だ。
   娘達、踊り子連の写真を撮ってきたので、ご紹介する。


    

● ちょおうさ踊り子隊(3)
  

● ちょおうさ踊り子隊(2)
  

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● アキレス腱の思い出 

  

56歳の時、 私は、左足のアキレス腱を切ってしまった。


アキレス腱断裂により、ショックを受けた私の心が、いかに慰められ、癒されてきたか。 また、いかに励みになったか。・・・感謝をこめて、

ことの顛末をご紹介したい。
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● 会社のレクレーション行事としてのソフトボール大会があった。

当日も、いつも運転中に楽しむ「含み笛」で、「ヘイ・ジュード」やら
「帰れソレントへ」等の曲を吹きながら、
マリンパーク新居浜のグランドへ向かった。

私はピッチャーと云うことで、年甲斐も無くハッスルしていた。   

バッターの打った小さなピッチャーフライを捕ろうとして、前にダッシュしたとたん、左の足首と膝の間の後ろ側に、一瞬強烈なボールが当たったかなと思うような衝撃があり、前に1回転して倒れこんだ。

『あっ、左足がおかしい、肉離れでもやったかな。』と思いながらも、
何とか立ち上がって、足を引きずりながらベンチまで戻ってきた。

ふしぎと痛みは無い。

「だいじょうぶ?」

まわりの皆が心配して声を掛けてくれた。

自分では肉離れだと思った。

ここ何年かは、運動らしい運動はしておらず、ソフトボールをするのも何十年ぶりかで、張り切っていたものの、内心『足がつるんじゃないかなあ』と
心配していた矢先の出来事だった。

『病院に行かなくっちゃー』

大会が終わって、グランドから駐車場までは、なんとか足を引きずりながらも歩いて行った。200mの距離の長いこと。車はオートマ車なので、
左足は使わなくてよく、運転が出来たのは、不幸中の幸いだった。
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● 家に帰って、大会で戴いた弁当を食べながら、『さて、どこの病院へ
行こうか』と思案していると、保育士をしている娘が帰ってきた。

「おとうさん、どうしたの?」

「うん、年甲斐も無く張り切りすぎて、左足に肉離れを起こしたみたい、
どっかええ病院知らないか?」

娘は、近くの整形外科のある病院を薦めてくれた。

土曜日の午後は休診となっているが、
急患はこの限りでないと書いてあるので、さっそく電話してみた。

「どのくらいで来れますか?」と受付嬢の愛想の無い声。
「近くですので、5分か10分です。」と答えて病院へ向かった。
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● 整形外科の先生は、
髭をたくわえた感じが秋篠宮殿下か、さとう宗幸さんかといった感じで、
とっても愛想のいい声で、「どうしました?」と尋ねてきた。

ソフトボール大会でのいきさつを話し、
「あまり痛みはありません。肉離れじゃないかと思うのですが。」
と私が答える。

先生は触診をしながら、
「ここは痛みますか?」と足首の少し上を指で挟んだとき、
激痛が走った。「あ痛たたた!」。

先生の
「アキレス腱が切れてますね。」の声に、
「え〜!、ほんとうに?、どないしよう!」と困惑の自分。

まさか、アキレス腱断裂とは思っていなかったので、
ほんとうにショックだった。

応急処置として、左足首が固定されることになった。

うつ伏せに寝かせられ、、つま先を下げてかかとを上げた状態、すなわちアキレス腱の部分を圧縮した状態で、網目包帯をかぶせられた。そして、ふくらはぎより下の後ろ側半分(アキレス腱のある側)に何やら液体を塗られた。

「しばらくすれば固まりますから」

と言いながら先生は、治療法についての説明をしてくれた。

治療法には、
「手術をして、切れたアキレス腱を繋ぎ合わせるやり方」と「ギプスだけの保存療法」の2種類の方法があり、早く直したいのなら手術、多少時間が掛かってもよいのなら保存療法で、ギプスの期間は、手術では4週間、保存療法では6週間とのことだ。

昔は、全て手術をしていたが、最近では、保存療法の方が主流になりつつあり、若い人やスポーツ選手などは手術を、年をとっている人は、保存療法にする人が多いそうだ。

月曜日(二日後)の再診察までに、どちらにするか決めるように云われた。

この日の診察はこれで終わり。

補償料として5000円支払い、鎮痛剤、炎症抑制剤、腫脹緩解剤の3種類の薬を2日分いただいた。

松葉杖が2本出され、看護師さんが高さを調節してくれた。松葉杖のちゃんとした使い方も分からないままに、自己流で何とか帰宅した。

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● 家に帰って、
ショックも冷め切らぬまま、不安解消と治療法決定の参考にと思い、
インターネット検索にて色々と調べてみた。

【アキレス腱断裂】、【アキレス腱断裂 治療法】、【松葉杖 使い方】などの
キーワードで検索した。

そしたら、
出るわ出るわ、たくさんの体験記や療養日記が。

その中で、無意識にも、
手術をせずにギプスだけで治す「保存療法」の体験記を
探している自分に気が付いた。

治療法は「保存療法」に決定。

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アキレス腱断裂事故の翌日(11月20日)は日曜日だった。

前日の大ショックにもかかわらず、ふしぎと心穏やかだ。

「草笛」を吹く心の余裕があったので、ベートーベンの「悲愴」を吹いてみた。

この曲は、ゆったりしていて草笛での演奏に大変適している。

メインテーマを何回も、繰り返して吹いているうちに、
気持ちよくなって、次第に「快感」になり、希望が湧いてくる。
タイトルが「悲愴」なのが不思議なくらいだ。

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            以上が当時の状況だった。

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      草笛音楽の楽しみ   楽器の思い出   

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● ちょおうさ踊り子隊(1)