楽器の思い出(3)新居浜に帰って
ふるさと新居浜に帰ってきてから、二人の娘に恵まれた。 新築の家も出来上がり、
長女が小学校に入学した年の春、「ピアノ」を購入。 「エレクトーン」は甥っ子に譲った。
二人の娘は、ピアノレッスンに通い、
私も独学で、練習を始めてみた。
長女は高校まで、次女は中学まで習いに行った。娘たちは上手になって、今では、
仕事や趣味に生かしている。
私は?と云うと、
それが・・・さっぱり、ダメ。
娘たちが上手になっていく期間に、
私は、「釣り」や「オフロードバイク」の方に夢中になっていたのだった。
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● フルート
長女が、運動会の鼓笛隊で使う「フルート」が欲しい、と言い出した。 「えー!、小学生にフルート?」と思ったが、そこは親ばか、OKしてしまった。
次年は次女にも使えるし、子供たちが使い終わった後は、自分が使ってやろうとの「思惑」もあったので。
そこで、学校斡旋のもの(当時約5万円)はやめて、少し高いが頭部管が銀製のもの(当時約10万円)を購入した。
娘たちの小学校での鼓笛隊が終わる2年後、はたして無傷で自分のものになるのか? 心配していたが、少しの傷は有ったものの、「my flute」になったのだった。
教則本を何冊も買ってきて、
独学での練習開始。
フルートはとってもいい音がする。
「G線上のアリア」や、「シチリアーノ」、
「精霊の踊り」等、お気に入りの曲を吹いては、悦に入っていた。
ところが、首や右腕に痛みが走るようになって、横笛は自分には向いていないことが分かってきた。
『縦笛だったら、いいのになあ・・。』
● ふるさと新居浜へ
子供たちは、鼓笛隊で吹く曲は、
学校ですぐ覚えてきた。
私は、教則本と必死に悪戦苦闘した。
このフルートも孫の和音が欲しいと言って、持って帰った。
【 フルート (ヤマハ) 】
↑【 ピアノ (ヤマハ) 】
二人の娘を育ててくれたピアノ。
私は続けることが出来なかったけど、
どうも有難う。